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大東亜自主独立の経済的条件

2012/05/15 11:06

 

故に大東亜六ヵ国が真の民族魂の自主、自律を全うし、独立不覇の活動を為さんがためには、国家は大東亜民族に適した経済政策を採らなくてはならない。物資の生産、消費は必要程度に止め、国民をして驕奢華靡、浮華放縦に走らしめず、質実剛健の気風を奨励し、風俗として醇厚中正に帰せしめなくてはならない。これ、真に民を養う所以である。そのためには生活必需品は成るべく国内に於いて生産するよう仕向け、必要以上の物資交流は制止すべきである。かくして大東亜の諸民族が真に足るを知り、分に安んじその所を得る時、活力はおのずから旺盛となり、真の独立、即ち自主独立が、その結果として齎らせられるのである。

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大東亜自主独立の経済的条件

2012/05/14 15:54

 

ここに於いて筆者は大東亜民族の欠点を論ふの必要を感ずる。西洋諸民族、特にアングロサクソン系諸民族は、物欲が甚だ旺盛である。彼等は「足る」とうことを知らない。これ彼等をして物質の奴隷たらしめ、人類を畜生道に陥らしめる所以であり、同時にまた物欲飽くことを知らざるが故に、断じて遊惰の民ともならないのである。多々益々弁じ、愈々消費し、愈々生産する。この点いささかも誤解があってはならない。然るにこの風一度我に伝わり、我が物資の奴隷と化する時、我の「足るを知る」美徳は変じて怠惰、逸楽となり、一切の活力を失うに至る。大東亜諸民族に課せられた桎梏の一半の責任は、この意味で我が方にも在るのではあるまいか。

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大東亜自主独立の経済的条件

2012/05/12 11:18

 

スワラジである。敢えて自足自給とはいはぬ。大東亜六ヵ国は『互恵の下堅密に提携し、其の経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進す(大東亜共同宣言第四項)』べきものであるから、大東亜有無相通は当然である。敢えて大東亜のみに屋根せんや。我の抱負は『進んで資源を開放し以って世界の進運に貢献す(同上第五項に)』るに在る。ブロック経済、封鎖経済の如き異臭紛々たるものとは、凡そ類を異にする。大東亜の「経済発展」、「大東亜の繁栄」は、大西洋憲章第四項の『一切の国が其の経済的繁栄に必要なる世界の通商及び原料の均等条件に於ける利用を享有することを促進す』ることとも同一でない。消費物資の多寡購買力の大小は、我々に於いては第二義的である。我々は米国の如くグロテクスな広告や月賦販売に依って不必要な消費を刺激し、「過剰物資」を販売し、それに依って生産を刺激し、それに依ってさらに人工的消費を増大するという経済を「発展」とも「繁栄」とも心得てはならない。大東亜民族は足るを知り、分に安んずる。衣食は礼節を全うする程度であれば十分である。それ以上の衣食は不必要である。故に我には必ずしも大西洋憲章第五項に在るが如き「労働基準、経済的向上・・・」などを戦争の第一目的とは考えてはいない。質素醇朴は大東亜民族の天性であると共に、民族保存上の必要条件である。

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大東亜自主独立の経済的条件

2012/05/11 11:48

 

自主独立とはかくの如く、民族魂の絶対自主、自由無礙を意味する。しかし、我々はそれを高らかに叫ぶことだけで、それを得ることは出来ない。大東亜六ヵ国の自主独立には、それを可能ならしめる客観的条件というものが必要である。それを詳説する余裕がないから、多くの客観的条件の一つを挙げるに止めよう。それは経済的条件である。西洋の政治学者は独立に数個の種類を設ける。曰く「政治的独立」曰く「文化的独立」曰く「経済的独立」。独立にそのような種類のある筈はない。真の独立はただ一つ、即ち「自主独立」これあるのみ。経済即ち民を養うという政治の第一任務を他国に任せて、何の独立があろう。政治は民を養い、民を教えることである。民を養はずして何の政治ぞ。故に大東亜六ヵ国はまず何よりも民を養うことに専心しなくてはならない。換言すれば、経済的自律が必要である。

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大東亜民族魂の独立

2012/05/09 11:13

 

家的秩序より発する自他一如は、往々にして我々を異国崇拝、自国軽侮へと導いた。それは本質に於いて我が民族の純真性と、ひたすら道を求めんとした熱意の然らしめたところ、而して万物を生かし、一切に所を得しめんとする仁慈の致したところではあったが、その結果にはまことに悲しむべきものがあった。自他一如は誤って自国否定となり、学ぶべき道は我に非ず異国に在りとの妄想を生むに至った。我が国が思想的自主性を失ったのである。精神的独立を失ったのである。我が尚武の国にして容易に武に依って征服得ざるを知る異国は、好んでこの思想謀略を我に適用した。戦局苛烈、日本精神の高らかに唱はれる今日に於いても尚、我が国は思想的自主性を完全には回復してはいない。「善意」の敵性、「愛国的」利敵の如何に多いことよ。印度、ビルマ、フィリピンは我が国と同一の欠点に依って国を失った。支那はそれがため欧米の半植民地となった。我が国は国土をこそ失はかったが、度々思想的自主性を失った。しかし日本は危機に直面し、将に一切を奪われんとするかの間際、必ず立ち直った。大化の改新、明治の御維新、而して今日の大東亜戦争がそれである。民族的精神の奥底に秘む「自主独立」は断じて失はれない。時あって暗雲低迷しても、それは時機到来と共に打ち払はれる。まことに自主独立こそ、大東亜本然の姿である。

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大東亜民族魂の独立

2012/05/08 08:05

 

我が国は幸いにして未だ外国より国土を奪われたことがない。それは我が国が実力を以って国土を防衛し得たからである。しかし、その力の源泉をなすものは、国体観念である。天壌無窮の御神勅に対する絶対的信奉がそれである。この御神勅を奉載し、皇祖皇宗の御加護の下、皇国は永久に彌栄えるであろう。しかし、我々は我が国も亦東亜民族共通の欠点を持ち、それがため度々重大なる危機に面したことを心静かに省みなくてはならない。前にも度々述べた如く、大東亜を貫く基本精神は「家」的精神、換言すれば八紘一宇、さらに換言すれば万物一体、万有一如の精神である。それは家の精神なるが故に家の尊さを知る。併し東亜の家は、閉鎖されて他と対立する家ではない。延長し拡大する家である。他者を他者なりと排撃せず、自他を一体と見、「他」をよく容れること尚「自」の如くである。かかる精神、かかる秩序こそ、人類の到達し得る最上のものであるが、それが対立、抗争、分裂の世界観と接触する時、一種の弱点を示す。「家」的精神をその最も純粋にして完成せる形に於いて具備している日本は、かかる弱点に悩ませること最も大なるものであった。

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大東亜民族魂の独立

2012/05/07 08:58

 

現在のフィリピン共和国は、米国属領時代、米国に依り独立を約束された。一九三四年のタイディンゲス・マグダッフィ法がそれである。同法はフィリピンが一九四六年七月四日、即ち米国独立記念日に独立となることを規定している。一九四〇年筆者は親しくフィリピンを訪問し、朝野の名士固より将来同国の運命を双肩に担う学生層と素直に語る機会を得た。筆者を驚異せしめたのは、彼らが独立に対し何ら本質的熱意を示さなかったことである。彼等は寧ろ「独立」を一種の宿命観を以って迎えるもの如くであった。かかる心理の理解はまちまちであろう。あるものは比島青年の政治に対する無関心を以って説明しよう。あるものは「独立」後の困難を予想して辟易したものと解釈しよう。何れも残簿な見方である。何れも「比島独立」を外部から見た傍観者の観察である。フィリピンの「独立」はフィリピン人の立場から、フィリピン人の魂の問題として考えなくてはならない。フィリピン経済の生殺与奪の権を米国に掌握され、米国的イデオロギィーの下に、米国的「独立」を米国独立記念に附与され、それに心から感激し得るであろうか。「独立」に個人的利害関係を有するものは別である。誠心誠意祖国を愛し、祖国に一切を捧げんとする純情の青年が、かかる「独立」を白眼視したのは当然ではあるまいか。フィリピンは過去四十年の米国統治の下に完全に骨抜きにされ、東亜の精神を失ったといはれてをった。しかし筆者は一九四〇年フィリピン学生の「独立」への驚くべき無関心を目撃して、そこにフィリピン魂未だ亡びずの確信を得たのである。独立は結構である。しかし大東亜諸国の独立は自主独立でなくてはならない。何よりも先ず民族魂の独立でなくてはならない。大東亜諸民族は種々の欠点を有する。しかし真理に対する鋭い直感は未だ失ってはをらない。

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大東亜民族魂の独立

2012/05/05 09:07

 

印度は英国の支配下に在り、英国の印度に対する厭政、暴虐は言語に絶するものがある。その結果、印度が多くの尊いものを失ったことは否定できない。しかしそれにも拘わらず、印度魂は厳存する。英国は暴力と謀略に依って印度の富を搾取し得ても、遂に印度魂を奪うことは出来なかった。印度は多年英国の支配を脱せんことを熱望し、独立運動は絶える間がなかった。しかし彼等は第三国の勢力を導入し、以夷制夷に依って独立を獲得しようとはしなかった。それは決して英国支配を謳歌したからではない。悪との妥協を拒否せんがためであったのだ。英国支配は悪であるが、悪は英国支配に限らない。英国の武力支配の後に米国のドル支配が来たら、何の選ぶところがあろう。印度は独立は熱望したが、その独立は異国的独立、形式的独立ではなかった。彼等の心より欲求したのは自律である。印度独立である。印度魂の独立である。換言すれば「自主的独立」である。印度仮政府官僚ボース氏が我が国と協力したのは、その意味に於いて画期的大事件というべきである。印度は印度的独立、真の自由独立以外のものを求めてをらない。異国的独立のために外国のなす援助は寧ろこれを峻拒する。我が国に来朝して親しく日本精神に接触したボース氏は、我が国の真意を直感した。我が国の目指すところが「ためにする」独立、異国的独立ではなく、印度的独立、自主的独立であることを彼は直感したのだ。印度国民軍の進撃はかくして開始されたのである。

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大東亜民族魂の独立

2012/05/04 10:42

 

支那の歴史は被征服の歴史である。禅譲放伐、易姓革命の思想がその主たる禍根であろう。公平に見てそれは支那史の暗黒面である。しかしそれにも拘わらず、支那はその民族魂を失はなかった。夷狄に征服されつつも却って文化に依って夷狄征服した。今後支那に侵入し支那を支配せんとするものも、同様の運命に遭遇するであろう。中国中華民国)の民は武力に依っても、金力に依っても、絶対に亡ぼし得ざる魂を持っている。彼等が国を失っても尚自らを「中華」と語るのは、決して単なる自己欺瞞ではない。不幸にして近世以後、欧米思想との接触により、中国中華民国)の民族魂は欧米的対立、抗争、分裂の世界観に感染しその本然の姿が歪曲され、彼等の民族意識は対立、抗争的性格を帯びるようになった。中国中華民国)はその本来の価値を失いかけたのである。彼等の民族意識の昂揚は敵対者を必要とするようになった。これまさに欧米の「国民主義」とその軌を同じうし、終局に於いて自己の破滅を招くものである。しかし心ある中国中華民国)の民は、決してそれに満足してはない。彼等は異国的自由や外来的独立よりは、中国中華民国)が真の自己の主たらんことを求めている。

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大東亜民族魂の独立

2012/05/03 09:38

 

アングロサクソンの優越感は多くがかかる標準より為されていたのである。彼等は必ずしも東亜に文化のあること、若しくはあったことを否定しない。しかし独立自尊という徳性を欠くという点において、東亜の諸民族は永久に劣等であり、而して劣等の地位に甘んずべきであるというのが、彼等の常識であった。凡そ優越とか劣等とかいう物の考え方は対立、抗争的世界観を前提とするものであって、我々はそれに対して「売り言葉に買い言葉」を以って報復することは控えよう。常に他と比較し、他に対し優越であることを意識しなくては自己の価値が見失われるというのは、一種の僻みであって君子のとらざるところである。我々はただそれを悲しむべき心理として置こう。しかし黙過し難いのは、我々東亜民族自身がアングルサクソン民族の意識に感染して、自らを劣等なりと感ずることである。これは大きな間違いである。

東亜民族の底を流れるものに「独立自尊」という言葉が当て嵌まるか否かは暫く論じないことにして、とにかく、何物にも捉われず、何事にも拘泥せず、自由無礙の心境を尊ぶという点に於いて、魂の絶対的自由を欣求(ごんぐ)するという点において、而してそれを実践する能力を有するという点において、東亜の諸民族は断然群を抜いているといってもよかろう。

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